暮らし

永遠に見つからない自分探し

こんにちは、ヒロです。
神奈川県の自宅サロンで整体をしながら音楽や日々の暮らしを発信しています。

もう30歳を迎え、1年が経とうとしています。

30歳といえば、昔の自分としては大人なイメージがあり、安定した暮らしと家族に囲まれて過ごしているのかと思っていましたが、現実はなかなかですね。

私は大学卒業後にフィリピンに語学留学したりオーストラリアでワーキングホリデーをしたりしていたのですが、なんとなく自分探しや夢を追いかけているという意識はありませんでした。

とはいえ、将来何かを成し遂げたいなという気持ちがあり、何者かになることを夢見ていたのは事実です。

そうして帰国した後に、なかなか思うようにことが進まず、今に至るわけですが。

さて、今回の投稿では、なぜ過去の自分が何者かになるために日々を過ごしていたのかを考えていこうと思います。

・目的と手段を見誤る

自分探しや夢を追う、何者かになろうとする。

それって、すごく努力していたり、現状を変えていこうとするポジティブなエネルギーに溢れている印象があります。

現状に満足せず、より高みを目指していく。

そういった姿は、周りの人々からの応援を集め、注目してもらえます。

最近思うのですが、自分探しをしている自分というのは、すごく心地いいのです。

なぜなら、何か見えない素晴らしい目標に向かって努力しているように見せるだけで、人々から応援してもらうことができ、注目してもらうことができるからです。

私も30歳を迎えたので薄々自分のことがわかってきたのですが、もしかすると自分は

「永遠に達成することのない目標に向かって努力しているふり」

をしたいだけなのではないか。

そうだとすると、今までの自分が浅はかでとんでもなく恥ずかしくなります。

もしかしたら実現したい未来はなかったのかもしれません。

現状を嘆き、いつかやってくるだろう素晴らしい未来を迎えるために、努力しているふりをする。

そうすることによって、何かを実現させることなく人々から注目され、応援してもらえる。

承認欲求を満たすためのコスパがいいのです。

それが、ひとたび何かを実現させたり達成させてしまうと、人々からの称賛は大きな重圧としてのしかかってきます。責任を持ちたくないのです。

だから、何も達成しない方がいい。

自分探しや夢を追うことが、手段ではなく目的になっていたのかもしれません。

自分探しをしている状態や、夢を追い続けている状態。

その状態が目的になっていれば、何者かになる必要なんてない。何かを達成する必要もない。

自分探しや夢を追い続けることが、ポジティブなものだなんてとんでもないことです。

本来それは手段であるべきで、その先にある具体的な何かを達成するために一時的に踏むプロセスであって、ゴールではないのです。

やっと目が覚めたような気がしていて、努力しているつもりの自分とは決別する覚悟ができました。

これからは自分の人生に責任を持って、コスパを考えず、どういう未来を実現したいのか、もっと具体的にしてから努力していけたらいいなと思います。

ヒロ

-暮らし